【雑記】平原遺跡 ここが邪馬台国だ!福岡の遺跡と古墳群と城趾を巡る散歩

【雑記】平原遺跡 ここが邪馬台国だ!福岡の遺跡と古墳群と城趾を巡る散歩

雨乞いの儀式が行われている。

「わっしょいわっしょい」

決してチャンスが巡ってきた時のホークスの応援歌ではない。

豊作のお祈りだ。雨降れわっしょい。

人々が作り出すサークルの中央で恋ダンスならぬ雨乞いダンスを繰り出す女性がいる。

あれは確か・・、女芸人の

 

 

キンタローだ!!

 

 

いや、ちがう。よく見たら

卑弥呼じゃないか。

間違いない、あれは卑弥呼だ。キンタローではない。

 

かつてここは邪馬台国と呼ばれた場所(正確には候補地)。

古代ロマンが渦巻く福岡市西区周船寺にある平原遺跡(ひらばるいせき)にやって来た。

その昔、伊都国(いとこく)という国が築かれ、全国で2箇所ある邪馬台国の有力地の1つになっているのがここだ!ちなみにもう1つは奈良県の纒向遺跡(まきむくいせき)ね。

 

今回は平原遺跡にある古墳、その周辺にある歴史遺産を徘徊する、流浪の番組ブラコフンのお時間です。

この古墳企画が単発と思わせといて、実は第2弾、第3弾と続くかもしれない。

 

 

遺跡巡り散歩

平原遺跡を徘徊

福岡市西区の平原遺跡に到着していきなり登場するのがこの謎の民家。

卑弥呼の時代にこんな民家があったはずもない。

これは九州最古の住宅とされる藤瀬家の住宅で、江戸時代に建てられたパナホームだ(最後のはうそだよ)。

ここにやって来るとこんな民家の他には、仕事をサボって駐車場で寝てるサラリーマンの見学だってできちゃうわけよ。

 

ほいじゃ、ちと固い話になるけど、

平原遺跡の何がすごいかって説明から始めまショウネー、と琉球訛りでご紹介。

 

直径46.5cm、世界最大の銅鏡がここから出土されたサァー。

しかも大小様々、鏡の出土数も半端なかったらしっサァー。

 

ちなみにすぐ近くにある雷山や高祖山にも山城があったという説明もあったけど、邪馬台国の時代とはかけ離れてる。登山する時に思い出せばいいや。

簡単におさらいするが、邪馬台国は西暦2〜3世紀に30あまりの国が集まった連合国家だ。魏志倭人伝では邪馬台国は朝鮮の東南の海上にあり、それまで争いが続いた倭でキンタローの誕生によって治まったと書かれている。

 

さて、話を戻すが、この高祖山は伊都国やその周辺の古墳との位置関係において超密接な関係にあることを覚えといて欲しい。

ちなみに1度、今宿野外公園側から登ったことがある山だが、残念ながらこのルートはあまり面白くなかったことを補足しておく。

次は是非、定番ルートの高祖神社から怡土城跡を探しながら登るのも悪くないなと、きっと来ることはないだろうが機会を虎視眈々と狙っている。

 

そしてこれが最大のミステリーなんだけど、この写真の鏡が三種の神器の「八咫の鏡(やたのかがみ)」なんじゃね?という説があるのだ。

八咫の鏡は伊勢神宮で保管され、天皇が即位する際に用意される草薙の剣、勾玉と共に三種の神器の1つ。

しかし、その即位の礼でも箱から出されることはなく、写真にも残っていない。伊勢神宮でも空っぽの箱を保管しているらしいのでは?言い伝えで用意してる風を装ってるだけと囁かれてる謎だらけの鏡なのだ。

そして平原遺跡から出てきた鏡が、時代、大きさ、形状が伊勢神宮に伝わる記録とぴたりと一致するそうだ。

こいつマジもんなんじゃね?という話になるのもうなずける。

 

それもあって、この古墳は弥生時代後期の王墓であると推察され、見つかった時はそりゃ大ニュースになったらしい。

 

たくさん書いたけど、今後は登山と古墳のリアル二刀流を目指すぞ。

 

さて、古墳に移ろう。

 

古墳に大コーフン!!!

 

 

ただの盛り土ではないYO!

こいつが王墓の古墳と言われてるんだYO!

 

なぜ王墓だと分かるかって?

こちとら素人なもんで詳しく知るはずもないから、この説明書きを拡大して読んでおくれ。

平原遺跡、なんでも説明付きだなんて優しすぎるじゃねぇか!くそっ!

まあちょっとだけ書くと、平原王墓から出土された鏡の枚数は40枚。当時の威信を示す宝物だった鏡が、他の遺跡に比べ出土数は群を抜いている。2番目に多いのは同じ伊都国の三雲南小路王墓で35枚。その次は今の福岡市と春日市にあったとされる奴国(なのくに)で30枚。

そして平原遺跡の40枚の内、世界最大の鏡が出土している。

この物量が物語ってると言っているわけね。

 

ちなみに奈良県の纏向遺跡(まきむくいせき)からは農耕具や土器はかりで鏡は見つかってない。しかしその土器が全国から送られてきた物ということで、当時の支配力を裏付けているのと、文献に残る邪馬台国の位置においても奈良県有力説の裏付けとなっている。

また、これが面白いのだが、纒向遺跡の調査には宮内庁がストップをかけているためまだ全貌が分かっていないのだ。ミステリーを残す演出が憎いじゃないの。

今度奈良にも行ってみる必要ありだな。

 

さて、時を戻そう。

この古墳では副葬された物の中に女性用のピアス、多くのガラス勾玉(まがたま)があり、武器はわずか1点たけだったことから被葬者は女性とされている。

この被葬者が卑弥呼か?というと実はそうではないらしい。

ここまて言っといて卑弥呼ではないというオチ。ましてやキンタローでもない。

 

実は玉依姫(タマヨリビメ)という説みたいね。

なんだよー、あんみつ姫かよ!がっかりだぜー!

って何だよ、あんみつ姫って!その店なら中洲にあるな!とか言ってるそこの中年オヤジ、ちょっと待ちな!

このタマヨリビメは、なんと初代天皇神武天皇の母親なのだ!

その説がほんとなら、邪馬台国はやはりここだったのかもしれない。

そして、3世紀に忽然と現れたとされる奈良の纒向遺跡に遷都したのかもしれない等と、素人の妄想は広がっていく。

 

ちなみに登山するものとして触れておきたいのが、祖母山が山頂で祀ってるのは神武天皇の祖母のトヨタマヒメ。

天孫降臨の地高千穂にある山だし、登りごたえ、眺望、歴史や観光も含めて100点満点の山なのでぜひ登ってみて欲しい。

 

この文化財マップを見るとこの周辺が古墳だらけだというのが分かる。

という訳で、他の他の古墳にも行ってみまショウネー。

 

 

丸隈山古墳を徘徊

そしてやって来たのは、丸隈山古墳(まるくまやまこふん)

ここは超おすすめ。

なんとこの説明に掲載されてる写真の石棺が見学できちゃうのだ!

場所は伊都イオンから軽く歩ける位置。駐車場はちょっと分かりにくかったけどちゃんと完備されてるからぜひ足を運んでもらいたい。

 

古墳の全体像はこんな感じ。

分かりにくいけど、前方後円墳なのだよ。

サァーお目当ての鉄格子の中を見てみよう。

 

大コーフン!!(鼻汁ぶしゅわー!)

なんと本物の石棺がアザラシ(野ざらし)!

いや、もちろん鉄格子の中だから風雨はしのげるけど、横殴りの雨だと降り込むんやないと?と心配になるアザラシっぷり。

いやぁ、西区ありがたい。これだけ歴史的価値のあるものが博物館とかではなく古墳の中で見れちゃうんだから太っ腹すぎね?神!

 

怡土城址を徘徊

そしてお次は地元感満載のコンビニ「すぎもとや」にやって来た。

お目当てはその昔、怡土城(いとじょう)があったという高祖山(たかすやま)。

登山ではないのだよ。高祖山の麓に行けば説明書きや石碑が設置された公園があるから行ってみよう。

場所はここ「すぎもとや」を目印にすればいい。

 

すぎもとやの道挟んだ反対側には広い駐車場があるんだけど、入口が極狭で、エスティマが何度かトライして入るのを諦めてた。

自分は軽自動車だから余裕で停車。

狭い日本、軽量コンパクト最強説。

一人一人が環境に配慮が必要な時代、いかつい車なんて時代遅れなんだよ。

あ、さっきのエスティマ、ハイブリッドだったかも。。

 

続日本紀にも怡土城の記載があるんだな。

散歩中に漢字を理解する脳みそをどこかに捨ててきたらしく、読む気ゼロ。

 

怡土城が築かれたのは756年の奈良時代。

最初に紹介した平原遺跡のすぐ近くにある城だけど、築城されたのは平原遺跡の時代とはだいぶかけ離れてる。

大陸からの攻撃に備え、時の天皇が太宰府の吉備真備(きびのまさび)に命じてできたそうだけど、実際に戦闘で利用されることなく廃城となったそうだ。

名は体を表すとは言うけど、吉備真備なだけに「備え」だけで終わった城なのねん。

まあしかし、ある日突然上司から城を作ってくれと言われたらテンション上がるよなー。

 

公園に上がってみまひょ。

古墳ばかり見てると、このちょっとこんもりした丘を見るだけで古墳なのでは?と疑ってしまう。

いや、マジで古墳ではないだろうか。流山とも思えないし不自然だ。

 

怡土城址の石碑と奥に見える山が高祖山。

築城を命じた吉備真備と聞いて、吉備の大古墳「作山古墳」を連想した人はなかなかの古墳ツウだね。

全く関係ないけどな!!

 

怡土城の築城を請け負ったのは当時糸島を支配していた原田氏だそうだ。原田氏ってありふれた名前だ。

怡土氏とか伊都氏であってほしかった。

 

ちなみに余談だが、怡土城の跡地をGoogleで検索したら鐘撞山に登らされるから気をつけろ!

間違ってもGoogleで探してはいけない。

 

更にこれが鐘撞山から見た糸島市方面の眺望。

まさかの山登りが始まってゼーゼー言いながら初夏の福岡の低山を登る苦行。

Googleめ!

 

大塚古墳を徘徊

既に書き疲れてきた感は否めない。

そもそも古墳ってそんなにネタ無いよなと思いながら書き始めたことを軽く後悔しながら惰性で書いてるけど、今回、最後に紹介するのがこちら「大塚古墳」

大塚古墳は伊都イオンや西警察署のすぐ近く。住宅街にあって子供が昆虫を追いかけて遊ぶ公園にある、綺麗な前方後円墳。

 

見よ!完璧に晴れた週末に、山へは行かず古墳を巡っているという悲劇!

もとい。こんな古墳日和に遺跡巡りしないなんてどうかしてるぜ!

ちなみに車はすぐ近くのドラッグモリに停めさせてもらって、帰りにジュースでも買って帰るつもり。

 

大塚古墳の説明が書かれたこの看板は、公園で子供を遊ばせてるお母さんの日除けとして大活躍してた。

そのお母さんがどこか行くのを待ってる時間が惜しいので先に古墳を一周してみた。

前方後円墳で一周200mぐらいなもんかな。

 

カルタがあったよ。

ろ。「6世紀 タイムカプセル 大塚古墳」

座布団全部もってけや。

 

脳みそがもうこれ以上文字を読んではいけない!と言っている。

どうしても読みたい方のために写真だけ撮って、テキトーに掲載させてもらう。

もはや惰性の更に上、くそダセェに進化した。最強のくそダセェへと変貌した自分にはもう古墳を巡る体力は残されていない。

喉乾いた。

 

木々がもっさもっさしてる古墳ではただの丘になってしまうけど、こんな刈り取られてると段々となった側面が分かりやすくて良い感じ。

まあそれもそのはずで、この古墳は復元する際に一部盛り土をしたり芝を植えてるため、実は古墳本来の姿ではないんだよね。

丸隈山古墳の方が見応えはあるから、優先させるならそっちだよ。

 

という訳で、ドラッグモリでクーリッシュを買って帰ったのだった。

この古墳企画が単発と思わせといて、実は第2弾、第3弾へと続く、

はずがなかろーもん!!

ではでは


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