【八幡総本宮】宇佐神宮 ミステリーだらけの神社と比売大神 進化系古代史の金字塔

【八幡総本宮】宇佐神宮 ミステリーだらけの神社と比売大神 進化系古代史の金字塔

UUU(ユユユ)、USA!

UUU、USA!!

カーモンベイビー♪アメリカ〜

どっちかの夜は昼間〜♫

 

古代史が好きなら、一度は行かなきゃならないのがUSA神宮だYo!

へいへいho〜

 

日本全国44,000社もある八幡神社の総本宮「宇佐神宮」。実はミステリーの宝庫だということをご存知だろうか?

 

邪馬台国の候補地は全国にあるけれど、実はここ宇佐神宮もその中の一つなんだよね。

シ・カ・モ、有力地!

 

個人的にはその可能性は低いと思ってたんだけど、その噂の真相を知れば知るほど、やべっ、マジでここが邪馬台国だわ、と思わせるだけのネタが揃っている。

 

魏志倭人伝に書かれている卑弥呼の墓の状況と合致する候補地って、たしかにここしかないのかも。

 

まあそれ以外にも宇佐神宮を取り巻くミステリーはたくさんあるから、今回はそれを知るべく、山登りばかりしている道楽オヤジが浮かれながらやって来た。

 

いや、ほんとに。古代史が好きでいろいろ調べていると、宇佐神宮にまつわる噂はたくさん耳にする。

 

宇佐神宮、ここには何かある。

 

今回はそんなミステリーを探しに行く冒険だっ!

 

いつも前段が長いので、さっそくスタート。

 

 

宇佐神宮 本編

仲見世をぶらぶら旅

さあ、やって来たぜぃ、UUU、USA神宮。

 

太宰府並みの混み具合を予想してたけど、渋滞ゼロ、駐車場のがら空きぶりに軽く拍子抜け。

 

ちなみに、全国12,000社あると言われる天満宮の総本宮は、菅原道真が生まれた北野天満宮(京都)と、亡くなった太宰府天満宮(福岡)の2社存在する。

 

いい加減、どっちか決めてもらいたい。

きのこたけのこ戦争よろしく国民大調査を希望するッ!!

 

 

全国に44,000社ある八幡宮の総本宮なだけあって、観光客でごった返す仲見世通りの賑わいを期待していたんだけど、店舗の数は太宰府天満宮には遠く及ばない。

 

それも仕方のない話だ。福岡市からアクセスの良い太宰府天満宮は観光客数は年間1,000万人。

 

それに対し、宇佐神宮は年間250万人らしいからね。

 

太宰府の梅ヶ枝餅に対抗する名物を探しつつぶらついてると、「やせうま」なるものを発見。

この貧相な馬を連想させるヤセウマなる物が名物なのね。1ミリもテンション上がらないじゃないか。

せめて名前を「タネウマ」に変更して、今晩もきなこパワーで暴れ馬!!ぐらい宣伝しておけば、品は無いけど話題作りにはなりそうだ。

 

観光地として寂しい感じなのは、きっとこういうところなんだろう。

 

まあしかし、せっかくだから帰りに立ち寄ってみよっと。

 

 

ここは予め帰りに立ち寄るつもりだった葱屋本舗のねぎ焼き。

本命だね。

 

同じ八幡宮である「鶴岡八幡宮」は、太宰府天満宮と肩を並べる年間1,000万人の来場者数というモンスター級の観光地だから、その賑わいに比べると、だいぶ寂しい。

 

ところで、「三大〜」が大好きな日本人らしく、しっかり三大八幡宮なるものが存在する。

 

それが、宇佐神宮、石清水八幡宮(京都)、筥崎宮(福岡)、または鶴岡八幡宮(神奈川)。

 

またはって言うのが、日本三大うどんの讃岐、稲庭、五島または水沢というのと同じで、釈然としないんだよね。

 

もう三大うどんってウエスト、資さん、牧のうどんでええんでない?

などと思ってしまう。

 

いかんいかん、うっかりうどんの話に逸れてしまったけど、

いずれにしても宇佐神宮と石清水八幡宮は誰もが認めるところ。

 

もともと、皇室が先祖に対して祭祀を行う2つある廟を二所宗廟(にしょそうびょう)と言って、それは伊勢神宮と宇佐神宮だった。

しかし、朝廷があった京都から宇佐神宮まではさすがに遠いということで、中世になって(いつかははっきりしていないけど西暦1000年ぐらいなのかな)、京都の石清水八幡宮に代わってしまったという経緯があるんだけど、とにかくこの2社は八幡宮の中でも別格というわけさ。

 

このえびほまれを喰らう巨人の姿を見よ。それも宇佐神宮名物「ヤセウマ」ではなく、えびほまれを食らうとは。。

これは紛れもなく、USAミステリーの一つ。

 

とら巻きなるお菓子は美味そうで激しく心揺さぶられた。

せっかくホークスカラーの黄色なんだから、ホークスバージョンも検討しておくれー。

これはカロリーが心配だから、参拝が終わってから買って帰るか決めよう。

 

お土産屋さんが、直売所形式で野菜の販売もしている。結局、こういうのが一番売れそうだな。

道の駅がなんで流行ってるかって考えてみると、お土産を見てるだけでも楽しいけど、直売所併設のお得感と、駐車場代が無料で気安く立ち寄れるってところなんだろうね。

 

またも宇佐飴。

さっきから一向に宇佐神宮のミステリーに話が行かないけど、まあそれはぼちぼち。

 

そろそろ古代史と宇佐神宮って、どんな関わりがあるの?ってところに触れなくてはならないんだけど、おっさんは会社でこき使われて疲れ切っている。

観光ぐらいゆっくりさせておくれ。

 

いざ、境内へ

仲見世の商店街を抜け、いよいよ神聖なエリアへ。

 

ちなみに先に言っとくけど、

ただの古代史愛好家の目線でライトな感じで宇佐神宮を紹介する所存でゴザルから、より詳しく知りたいという変わったお方は、YouTubeでゆっくり霊夢や学者風な方々の説明を御覧ください。

 

いきなり大事なことが書かれている。

「比売大神が降臨した宇佐に、応神天皇の御神霊が八幡大神(はちまんおおかみ)として登場して、一之御殿に鎮座された。

さらに比売大神(ひめのおおかみ)を二之御殿にお迎えし、神功皇后(じんぐうこうごう)を三之御殿にご鎮祭された」

 

ふむふむ。

 

最後に余談で、東大寺建立の援助で八幡大神が神輿で上洛された、とも書かれている。

 

つまり、宇佐神宮の神様には、応神天皇(八幡大神)、比売大神、神功皇后の3柱いる訳だけど、比売大神って誰なのさ、というのがミステリーの一つなのよねん。

 

 

個人的には突然SLの展示がされていることもミステリーではあったけど。

昔はここまで汽車が走っていたらしいよ。

 

東大寺建立の際に、八幡大神を神輿に乗せて上洛させたというのが、お神輿の発祥。

どこが発祥かも知らずに神輿を担いで、「俺、やっぱ祭り好っきやねん」と豪語する輩がどれだけいることか。

ふっ。

学べ!!

 

この橋がかかる寄藻川は、年々水量が減っていると観光バスツアーのガイドさんの説明を盗み聞き。

 

大鳥居が見えてきた。

この時、自分は焦っていた。

 

油断すると観光バスツアーのおばちゃんたちに抜かれ、写真がおばちゃんまみれになってしまう。念願の宇佐神宮にやって来て、おばちゃん達を撮りに来たわけではないという思いが突き動かす。

 

引き離すまで、のんびりするわけにはいかないのだ。

 

境内には宝物殿もある。(急ぎ足)

 

 

御朱印はこちらでどーぞ(急ぎ足)

 

だいぶ引き離したぜぇ、と思って大鳥居を振り返れば、おばちゃん達はどこかに立ち寄ったらしく、まったく急ぐ必要はなかったという事実。

 

しかし、さすがに広い。

参道の長さは筥崎宮と同じぐらいか、もっとか。

もうすでに結構歩いた感じするんだけどね。

 

しかし上宮までまだ半分も歩いていない。

これは、新米のお坊さん達だけで掃除するのは不可能な広さだな。

 

はい、これもUSAミステリー。

神道の国だった日本において、初めて仏教と神様が交わった、いわゆる「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」発祥の地もここ宇佐神宮。

720年、隼人の乱を鎮圧させた後、殺生を悔いた八幡神が、仏教に救いを求めて仏教の戒律である「放生会(ほうじょうえ)」をここで行ったことが、神仏習合の始まりとされているらしい。

神社の境内にお寺を建てたり(弥勒寺)、東大寺の大仏建立に全面的に協力したり、なかなか当時としては破天荒な神社だったのかもしれない。

 

長かった参道を進み、左へ90度向きを変えるとここから森の中へとモリモリ入っていく。

大宰府や京都の寺社と違って観光客が少ないのは心配になるけど、毎日ストレスまみれで生き抜いてる身としては、このスッカスカな感じが息が詰まらなくて心地よい。

 

なぜか下宮へ

ちょっとその前に、

上宮へ行くと見せかけて、下宮(げぐう)へ。

本来、上宮を参拝してから下宮へ行くのが正しい順路なんだけど、浮かれてたから誤って下宮へ行ってしまった。

 

下宮へ行く途中、清掃業者の方がきれいにしてくれていた。もしかしたらボランティアかもだけど…。

いずれにせよ、境内は清潔が行き届いてて、登山疲れのおっさんにとってとても気持ちが良い。

 

 

こちらが下宮。

上宮と同様に八幡大神、比売大神、神功皇后の三柱が祀られている。

 

奥には下宮の本殿が見える。

手が届く距離なのに、あそこまで行くことができない。くそっ。

宇佐神宮では、「下宮参らにゃ片参り」と言われるらしく(後で知った)、ミジンコ脳な自分はうっかり忘れちゃう前に先に参拝しといてむしろ良かったのだ。

 

夫婦岩

さて、ようやく上宮へ。

この上宮へと向かう階段にもミステリーが。

 

謎の夫婦岩ミステリー。

夫婦やカップルは良縁に、独身の方なら両足で2つの岩を踏むと良縁に恵まれるとのこと。

これを、あたかも由布岳と鶴見岳が並ぶ姿にしか見えないじゃないかっ!と言う方は良いセンスをしているぞ。

 

若宮神社

夫婦岩を過ぎて、すぐあるのが若宮神社。

宇佐神宮って境内にいろんな神社があるんだな。ここの神様は仁徳天皇とのこと。

 

宇佐鳥居と西大門

上宮に向けて進んでいくと、これが宇佐鳥居。詳しいことは分からないけどこれも宇佐神宮特有の造りらしい。

 

それはいいとして、なんだあの奥に見える張りぼて感満載の絵は。

 

西大門は残念なことに工事中ということらしい。

 

 

西大門の前には天皇陛下からの神饌料を知らせる木札が立ち並ぶ。

さすがの由緒正しさ。

 

上宮で参拝

いよいよ国宝の上宮へとたどり着いた。

本来ならさぞかし神々しく光り輝いて見えるのだろうが、見事なまでのクラウディ。

この日は完璧な晴れ予報だったはずなのに、どす黒い曇り空に変えてしまう己の負のパワーに言葉が出ない。

他の観光客に土下座して謝罪したい。

 

気を取り直して、宇佐神宮最大のミステリーを確認していこう。

 

ここでは二礼四拍手一礼。なぜ四拍手になったか、その由来は史料が無く不明とのこと。

どーせ偉い人が間違えてたくさん叩いちゃったのを正当化しただけなんじゃないの?と思ってしまうのは、普段から上司のパワハラを受け続けているから仕方のない思考回路なのだ。

 

 

ところで、この二礼四拍手一礼は、宇佐神宮の他には出雲大社がある。

 

もっと言えば、祐徳稲荷神社と弥彦神社(新潟)もそうらしい。

 

弥彦神社は歴史が長いけど、祐徳稲荷神社は完全に話題作りじゃね?と、勘ぐってしまう。ごめんなさい。

 

さっきも書いたけど、宇佐神宮は八幡大神、比売大神、神功皇后の三柱が祀られている。

 

順路として、まず最初に一之御殿から参拝していく。

一之御殿で祀られているのは、八幡大神。

八幡宮の総本山なのだから「八幡大神(応神天皇)」が一番格上なハズなのに、このあたかも二之御殿をサポートするかの様な位置取りで、造りも無印良品バリにシンプルなのが引っかかる。

 

 

どどーーん!!これが二之御殿。

なんとまあ豪華絢爛な造りで、ここが主祭神なのは一目瞭然では、あーりませんかー。

 

御祭神は比売大神(ひめおおかみ)。

 

実は比売大神って卑弥呼なんです。

 

てな噂があるんだけど、簡単に説明するぜよ。

 

 

そもそも比売大神って誰?って感じだけど、その感覚は正しくて、実は宇佐神宮の比売大神に関する史実は公には残されていないらしい。

 

wikiや、詳しい方がYouTubeとかで、宗像三女神のことだよと説明してくれているし、宇佐神宮のホームページでもそう書いてあるんだけど、

それって一般的な比売大神の話でしょ?宇佐神宮においてはそれ違うでしょ?

という議論が昔から巻き起こっている。

 

実は、宇佐神宮は古墳の上に造られたという噂もあって、それって卑弥呼の古墳なのでは?という噂が絶えない。

 

比売大神って卑弥呼を祀っているのではないか?

いやいや、天照大神を祀っているのでは?

いやはや、天照大神と卑弥呼は同一人物なのでは?

 

という論争が繰り広げられているのだ。

 

天照大神は神話に出てくる神様だから、卑弥呼をモデルにしててもおかしくはないんだけど、とにかく神話と実話を混同すると何が正しいかが分からなくなるから、古代史の観点では分けて考えたい。

 

ところが神社の場合、神話とは切っても切れない関係にあるから、それが話を煩わしくさせているんだけどね。

 

 

もし卑弥呼の古墳の上に宇佐神宮が造られたとすれば、その事実こそが真実な訳で、ところがどっこいその調査をすることが許されない以上、ここが邪馬台国だったんだと古代史ファンはザワつくことしかできないでいるんだよねん。

 

おっさんなんかは、ガヤでいることが楽しくもあるんだけど(笑)

 

まあ、これが古代史が好きな人なら、一度は宇佐神宮に足を運ぶべし!という理由なわけさ。

 

わくわくするね。一部のもの好きにしか分かってもらえないところだけど。

 

話は戻って、だいたい宗像三女神ってなによ?って感じなんだけど、

地方の神様でもなんでもなくて、神話の世界でアマテラスとスサノオの誓約によって北九州に降り立った神様のこと。

実はこの宗像三女神は、全国に8,500社以上の神社で祀られているウルトラスーパー銀河系的知名度の高い神様。

 

宗像三女神を祀っている有名どころとしては、当たり前だけど世界遺産にもなった宗像大社、それに厳島神社、江ノ島神社、日光の二荒山神社とか。

なかなかでしょ。

 

ほう、それじゃ宗像大社と一緒に世界遺産にもなった沖ノ島は女人禁制だけど、祀っている神様は女神っていうのはどういうわけだい?

当然、そう疑問に思うわけだけど、

 

その理由はね、女神が嫉妬深いからだよ!!

これが本当の理由なんだとさ(笑)。

 

話は戻すけど、結局、ここの比売大神って、じゃあ誰なのさって話。

 

比売(ヒメ)、日女(ヒメ)。つまり天照大神の本名「大日女(オオヒルメ)」という話もあったり、卑弥呼は今でこそヒミコと読むけど、以前はヒメコと読まれていたから、やはり卑弥呼だとする説は相変わらず根強い。

 

もっと言えば、宗像三女神が卑弥呼、台与(とよ。卑弥呼の宗女)、神功皇后の3人のこととする説もある。

 

でも、宗像三女神が誰かはあまり関係ないように思える。

比売大神が卑弥呼を祀っているにしても、天照大神を祀っているにしても、後付で比売大神と同一化して祀っているとしても、その事実の裏調査ができるかがポイントなのだから。

 

ほんと、非常に謎多き神社なのだよ。

 

比売大神の左におわすこのお方は、、もしや八幡大神の応神天皇でおじゃろうか。

すごい眉毛だ。

 

右におわすのも、もしかして歳を重ねた応神天皇でおじゃるか?

弓矢の神様って言われてるから、そんな感じだよね。

 

手前の三之御殿は神功皇后。御殿ごとに神様の名前を書いてみたんだけど、字が小さくてスマンどえす。

こうして見れば、明らかに二之御殿が別格。主祭神なのは疑いようもない。

 

だいたい、八幡神も後付けの神様だから、比売大神が卑弥呼であり天照大神であったならば合理的にも正しいんだよね。

 

何を言ってるかというと、八幡神は古事記や日本書紀には登場せず、続日本紀になって初めて登場する神様。

つまり、それまでは応神天皇と八幡神は無関係だったわけだよ。

 

もともと、八幡神は宇佐に伝わる土着神。

もっと言えば新羅から伝わった神様である可能性が高いんだそうだ。

それが平安時代以降、大和朝廷の勢力が九州地方にも強まって、この宇佐の地で後から応神天皇と八幡神が同一化されたというわけさ。

 

つまりこうなるわけね。

 

二之御殿から奥にある本殿を見ようと思っても、カテナチオばりの鉄壁の防御でぜんぜん見せてくれない。

やっぱり女性の部屋だ。あんまりじろじろ見ると一発退場食らいそう。

 

対しておっさんの部屋(一之御殿)からはダダ漏れ。

これだけよく見えると、それはそれで本殿が手が届く距離なのに、あそこに行くことができないのが悔しい。くそっ。

 

こちらが御神木のクスノキ。神様は誰か、このクスノキだけが生き証人だな。

 

幹まわりは5mもある。EXILEのUSAがこの御神木に大ヒット祈願に来たら成功したという逸話があって、しばらくは若い女性がたくさん来ていたと言う。

 

見渡せば、参拝の順番待ちを守れないお婆ちゃんしかおらんけど…。

二之御殿で参拝待ちしてたら容赦なく割り込まれたっス…。

 

あそこが奥宮があるとされる御許山(おもとさん)

比売大神はまずあそこに降り立ったとされている。

 

山頂には宇佐神宮の奥宮の大元神社がある。

低山だからちゃちゃっと登れそうだけど、マインドが登山になってないから、とても見に行く気にはなれない。

最近は古墳と博物館ばかり巡ってるから、そろそろどこか登りたいところなんだけど。

 

ここで再び確信に触れるけど、この宇佐神宮は亀山という小さな山の上に建てられている。

しかも、地層からこの山の山頂部分は盛られていることが分かっていて、宇佐神宮の改修工事の際に土を掘り返したところ、土の中から石棺がでてきたのを何人にも目撃されている。

 

そしてそれはすぐに埋められ、何も無かったことにされている。

 

その時の光景を想像すると笑えるじゃないか…。

 

しかし、これは笑い話のようだが卑弥呼の古墳の上に宇佐神宮を建立したことを裏付ける逸話として取り沙汰されているのさ。

 

さらに、魏志倭人伝には卑弥呼の古墳は円墳で、100人ほど徇葬したとある。

 

この上宮の近くには「百体神社」があり、ここに熊襲の奴隷を徇葬したか、戦士した者を埋めたかしているらしく、魏志倭人伝の記述とぴたりと当てはまる。

 

ここまて条件が揃っているのは、宇佐神宮しかない。

 

つか、恐ろしくて百体神社には立ち寄れないとしか思えなかったけどね。

 

卑弥呼の墓の最有力と言われている箸墓古墳は前方後円墳だし、百体埋めた跡も見つかっていないため、まったくこれには当てはまらない。

 

どこかの偉い教授が箸墓古墳って言いだしちゃったから、今さら引っ込められないだけなんじゃないの?

 

普段からパワハラされている思考がそういう邪推を働かせる。

 

まあ、どこかの誰かが大事なことを隠そうとしているのは間違いない。

 

 

願掛けひょうたん絵馬の説明の立て札を読むと、

「瓢箪は古くより災魔を祓い、あらゆる願い事をかなえて、幸福をもたらすと云われています。」、だって。

ひょうたんなんて、酔拳の老師が持ってるイメージしかないぜよ。

 

神功皇后が瓢箪の中に自分のお乳を入れて応神天皇に与えたと伝えられてる、とも書いてあったけどね、きっとマッコリだよ。

 

祓所へ

上宮でミステリーに酔いしれたなら下宮の方に向かって移動。

とは言え下宮にはもう参拝しちゃってるからスルー。

 

祓所と書いて「はらえど」と読むミステリー。

瑞々しい森の中で、金銭欲で汚れまくった自分の腐った根性がまさにお祓いされていくようだ。

 

八坂神社

八坂神社は弥勒寺の守護神。この奥に弥勒寺跡がある。スサノオノミコトが御祭神。

 

年表好きなんだけど、枯葉だらけでよく見えないね。

汚いからという訳じゃなく、これでは宇佐神宮がいつ建立されたのか全然分からない。

725年に一之御殿が造営されたとあるけど、「造営」だから。

祭祀はもっともっとずーっとずーっと昔から行われていた場所なのは分かっているんだぞ。

卑弥呼が日本最古の巫女だったのだから。

もうこれ以上は言わずもがな。

 

そんなことより、朕にはやることがあるでおじゃるでのぉ。

 

これじゃ!!

葱屋本舗のネギ焼きを喰らうでおじゃる!!

ネギだらけなのにネギ臭さゼロ。お薦めは紅生姜のトッピングだ。

 

話は違うけど、なんで東日本に紅生姜天ってないんだろうか。マルキョウで売ってる紅生姜たっぷりのさつま揚げとか、東京で売られてたら流行ると思うんだけどな。

 

そしてお隣のお店にも立ち寄って宇佐名物のやせうまを実食!!

 

きなこと黒蜜のコラボは黄金タッグ。それにきしめんを混ぜちゃったのは一体どうしちゃったというのだ。

やっぱ餅の方が美味い…よね…。

もうこれ以上は言わずもがな。

 

 

でもこれだけは言わせておくれ。

 

ここのトイレの異様な狭さマジ謎だからっ!!!

 

 

宇佐神宮、めっちゃ楽しかったよ。

実際に来てみたら謎が解けるのではないかと思いきや、さっぱり分からんかった。

ますます謎が深まったぞ。

 

あざす!!

 

国東半島の海へ

宇佐神宮を後にし、国東半島を堪能しに海へ車を走らせると、樹林に埋もれかかっている「USA」がぁ!!

今日一番興奮したかも。

 

海を見に来たのに、ここまで潮って引く?

はるか遠くやーん(笑)

 

 

エピローグ

道鏡事件というのがある。

別名、宇佐八幡宮神託事件。

 

769年、称徳天皇(女帝)の愛人で、武功を上げて政治にも介入していた道鏡が、

「道鏡を皇位に就かせたならば国は安泰である」

と宇佐八幡大神のお告げであると、嘘の奏上をした。

 

称徳天皇は、真相を確認するため、宇佐神宮に清麻呂という官僚を派遣した。

 

清麻呂は道鏡派の者だったため、道鏡は余裕だった。

ところが、清麻呂は宇佐神宮の回答を偽らずにこう伝えた。

 

宇佐神宮からのお告げは、

「国が始まって以来、主君と臣下は定まっている。無道の者は早く掃除(そうじょ)すべし」。

 

道鏡に熱を上げていた称徳天皇は大いに落胆し、清麻呂を鹿児島に飛ばしてしまうが、今後の後継は自らで決めると宣言したのだった。

ニセ信託をした道鏡は、称徳天皇の死後、今の栃木へ飛ばされてしまう。

 

道鏡が巻き起こした国の乗っ取り事件。

 

この時、なぜ伊勢神宮ではなく、宇佐神宮だったのか。

 

これは、天皇家の皇祖神アマテラスを祀っている本当の宗廟が宇佐神神宮だったからという見方もある。

 

江戸時代までの千年以上、皇位継承や事件があった際には伊勢神宮ではなく、宇佐神宮に勅使が遣わされたという。

 

 

7代目タイガーマスクが武尊に決定したけど、それも宇佐神宮に聞いたのかもしれない。

 

まあどうでもいいけど、Yahooニュースで武尊に決定って発表して、それって覆面かぶる意味ないやんって思ったの自分だけ?

 

謎のままであって欲しいわけさ。

 

ミッキーマウスの中身は誰なのか?と一緒。

 

宇佐神宮や多くの古墳で発掘調査が許されないことに不満がある一方で、不満を抱えたままの方がロマンがあっていいよねとも思うわけです。

 

いろんな憶測があっていいと思う。

古代史っておもろいわー。

ではでは


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