箱根旧街道(東坂) 江戸時代の石畳は新緑のトンネル 甘酒飲んで箱根関所跡から湯本駅までハイキング

箱根旧街道(東坂) 江戸時代の石畳は新緑のトンネル 甘酒飲んで箱根関所跡から湯本駅までハイキング

東海道五十三次において天下の険とうたわれた箱根越え。

そんな難所には今なお、箱根旧街道として江戸時代に整備された石畳が未だに残っています。今回はそんな歴史の舞台となった箱根越えをハイキングしてきました。

 

はっこねの山は〜天下の険♫

 

この有名な『箱根八里』という歌。江戸時代の旅人は1日に10里歩くと言うんだけど、

「箱根だけはあかん、8里しか歩けん」

と言われていたのが由来となっている訳ね。

 

1里が約4キロだから、当時の旅人は普通であれば40キロも歩いてたってこと。8里だと32キロ。今回自分が歩いたコースがたったの10キロだから、それより3倍以上も歩くって言うんだから驚くわ。。

 

箱根越えの途中には、参勤交代で休憩所にもなっていた甘酒茶屋が今でも営業してるから、ぜひ立ち寄って甘酒飲んで一休みしたい。

 

歩いたコースは箱根湯本駅〜箱根関所跡まで。通称「東坂(ひがしざか)」

 

ちょっとズルした事はこの後に書くけど(笑)、まあこうやって歴史を感じながらハイキングするってのは、これまであまり経験がなかったから貴重な時間となりました。

それと、なんてったって以前から箱根5区の山越えを走ってみたいと豪語していた大の箱根マラソンファンのあたくし。せっかくだし芦ノ湖の往路ゴール、復路スタート地点に立ち寄ってもう1人で興奮を抑えられんかったもんね。

 

すんげー楽しかった!

 

箱根旧街道は全長12キロ。

いざっ、参るでござる

 

 

ルートとコースタイム

■2020年5月27日

箱根関所跡 ⇒(60分)⇒甘酒茶屋⇒ (60分)⇒畑宿⇒(85分)⇒箱根湯本駅

標準コースタイム:3時間25分

総距離 12.7キロ
単純標高差 80m
累積標高上り 280m
累積標高下り 920m

 

箱根旧街道を歩く 本編

のんびり箱根湯本駅へ

箱根へはロマンスカーが便利です。これに乗っちゃえば新宿から箱根湯本駅まで楽々アクセスできちゃうからね。

朝、新宿のヨドバシカメラでちょっと買い物してからロマンスカーに乗り込みました。なので、到着する頃にはもうお昼になってるだろうなっていう遅い時間です。

 

車窓からまったり箱根外輪山の明神ヶ岳が見えてきたら小田原はもう間近。

 

そして小田原の一つ先、箱根湯本駅に到着。

いつも仕事で小田原に行くときは新幹線にしか乗らないから異常に長く感じた…。

実際には1時間半ってところなんだけどね。

 

エヴァンゲリオンが箱根を舞台にしてるだけあって聖地巡礼で訪れるファンが多いとテレビで見たことがあるな。

ガングリオンなら知ってるけど・・。

 

右に行けば温泉街。まっすぐ行くとバス停ね。

箱根湯本駅からスタートして、箱根関所跡まで歩く場合はここで温泉街方面へ行ってね。

私はと言うと…

 

え!!

まさかのいきなりバス乗車。

 

えーっと、箱根関所跡へは2番線からでいいですか?とバス停の案内係の人に聞くなりそそくさ乗車(笑)

 

ブオオオーーーン

国道1号線の坂道をひた走るバス!

この箱根5区のコースをいつか走ってみたいとかぬかしておきながら、バス最高だぜ…とニンマリしつつ写真撮りまくってるあたくしの姿をとうぞご想像下さい。

 

解体中の富士屋ホテルが逆側の車窓で撮れなかったのは想定外だった。無念。

こちらの写真はユネッサン。箱根駅伝好きなら聞いたことのある「ホテル小涌園」の関連施設です。

 

箱根関所跡からいよいよスタート

バスであっという間に箱根関所跡までやってきました。あー楽しかった。

さっぱり歩いてないけど、もうやり切った感すらある。

蕎麦でも食って帰ろっかな…という気持ちが半分だったことを白状する。

 

関所跡は入場料をケチって外から望遠で撮影。

関所を見るのが目的ではないんでね、ちゃんと江戸時代の石畳を歩くんだ俺は!がんばるぞ!と無理に奮い立たせる。

 

ここからスタート。

さすが、外出自粛明け直後の平日。人っ子一人いやしない。屁をこく際のエチケット要らず状態。

 

観光客のいない関所跡前に軒を並べるお土産屋さんを通過しつつ、せっかくここまて来たんだしね、歩きますか。。

そうね、箱根旧街道なんて、今逃したら一生歩かないかもしれないし。

と自分を奮い立たせる。

 

近辺の地図があったからすかさずチェック。

う?うん?!!!な、なんと!

箱根駅伝の碑なるものがあるのか!箱根駅伝の往路ゴールもすぐ近くだ!

反対方向だけど行かない訳にはいかんぜ!

 

箱根マラソン聖地巡礼

ここがコーナーを曲がって飛び込む往路ゴールだ。。

感動!!

いや、感動か?

感極まって興奮してたけど、今振り返ってみれば殺風景なただの路地だな。

 

おおっ!

箱根駅伝の往路ゴールの碑があるやん!

しかも「東京箱根間往復大学駅伝競走」って正式名称で書かれてる!(当たり前だよね)

 

 

ほら、逆側は復路スタートって書いてある。

ここがスタートするに相応しい場所だ!

と言う訳で自撮りで1枚パチリしていよいよ出発じゃー!

ちなみに今日は観光地というわけで明るめのシャツでやって来ました。箱根駅伝のおかげでシャツの色にやっとテンションが追いついた感じ。

 

芦ノ湖を眺め、よーく見ると富士山も見えた。雲と同化してて分かりにくいけど。

 

芦ノ湖といえば海賊船。第2のダイヤモンドプリンセス号になることを恐れてか、まだコロナによる営業自粛中。

遊園地と同じ扱いでステップ3から解除なのかな?

 

これ!これね。箱根駅伝の碑!

俺も走るセンスがあれば箱根駅伝を目指すような青春を送ってみたかった。。

学生時代の思い出って、バイトに明け暮れた汗臭い記憶ばかり…。

 

冒頭に箱根を走る選手たちを春の象徴だと書かれてるのは、お正月を早春と言ってるからなのか、第一回大会が2月開催で春間近だったからなのかは分かりませんが、お正月にノースリーブ姿で走る選手を見ながらあたしゃ毎年布団にくるまってテレビ見るのが恒例なんでね、春は感じませんのよ。

 

やっとスタート

箱根駒ヶ岳がよく見える。ロープウェイのある山が目印で、山頂にはなかなか立派な駒ヶ岳神社があります。

昔、新幹線を利用して登りに来たことがあります。

 

恩賜公園って箱根にもあるんだな。

上野が有名だよね。

私と同じように、恩賜と言えば恩賜会済生会病院を連想する人も多いはず。

これ以上無駄な体力を使って公園を散策する気にはなれなかったので前を通り過ぎるだけ。

 

またちょっとお金をかけた感じの石碑が出てきたよ。

旧東海道、箱根杉並木だそうです。

 

ズラッと杉の大木が並びまさに旧東海道って感じの道です。すれ違う家族連れが向かって左側を歩いてきたから右側に寄ったら、前を見てないお母さんはフラフラとこちら側に寄ってきたので左に移ったら再びフラフラとこちらに寄ってくるっていうね。。

もうなんなのー前見て歩かない人嫌い~

 

『箱根八里』で「♬昼なお暗き杉の並木♬」と唄われた箱根旧街道の杉並木です。徳川幕府が旅人に木陰を与えようと植林した杉で、東海道では唯一のものだそうです。芦ノ湖周辺で420本の杉が残されています。

 

シャガが咲いてました。この時期の定番ですね。

 

箱根神社の近くにあるセブンイレブンでおにぎりとサラダチキンを購入。

この先、甘酒茶屋で飲み物は確保できるけどコンビニは出てこないから必要なものはここで買い揃えておくべし。

 

ご立派!

 

箱根神社前から箱根旧街道に突入

ここで芦ノ湖沿いの国道1号線とはお別れ。

「箱根神社入口」のバス停の前で路地に曲がり興福院というお寺へ向かいます。

しかし間違えて1号線をしばらく直進してしまい、ローソンで間違いに気付いてここまで戻ってきました。

 

こちらがその興福院。中には入らず前を素通りします。

 

するとすぐに出てくる箱根旧街道の案内板。

細い道に入っていくので、本当にここで合ってるのか?と不安になるかもですが、分かりにくい様で分かりやすいんでズイズイ進みましょう。

 

そして突然出てくる西洋人。昔の貿易商で箱根の美しさを世界に広めたんだそうです。

 

さあ、ここまで来たら後戻りはできないぜ、腹をくくれ!

ここから箱根旧街道の始まりさ。

それじゃ、当時の旅人になった気分でね、参るで御座るよ。

 

地図でまずは第1チェックポイント、甘酒茶屋までのコースを確認。ここから30分の道のりね。

 

この陸橋は別に歴史あるものではないんだけどね、それ風に作られてるのが雰囲気を壊さなくて良いです。

 

そして早速現れた石畳。

木漏れ日と苔むした石畳が綺麗過ぎて、心躍って、石と石の隙間に足を挟んでいきなり足首をひねる。うーん、破天荒。

雨が降ったら滑りそうだし、注意が必要だぞこれは、と思ってたけど、晴れにしていきなりのダメージ。

 

芦ノ湖周辺は5月末でも新緑を楽しめるんだな。

新緑のトンネルをしばらくは登っていく。

でも芦ノ湖がスタートなら下り基調だし楽ちん♪

自粛生活で体力落ちてたし、なんせダイエット中でしばらく断食して、今なお食事制限中で体力的には底辺の状態。だから軽めのハイキングにしときたかったのが芦ノ湖から歩こうと決めた理由。

いつまでも歩き続けていられるアスリートな方なら湯本駅を起点にするか、思い切って往復してしまうか、それか三島駅まで歩いてしまう3択でどうぞ。

 

ここからしばらくは江戸時代の石畳ざんまい。

この石畳ができる前まで、トレイルはドロドロざんまいで多くの旅人が喘いでたそうです。

 

そんな旅人があえいで登って、やっと一休みしたのかがここ。

権現坂です。

こんな歴史の説明案内の立て看板がたくさんでてくるのも楽しみ。

小田原から箱根路をのぼる旅人が一息ついたのがこの場所。目の前に芦ノ湖を展望し箱根山に来たと実感できる場所、だそうです。

 

たまに道路との交錯があるので車には気を付けようね。

 

ここまて登ってきたけど、ここからはずーーっと下り。ずーーっと。

この案内に書かれてる畑宿とは、甘酒茶屋の次に目指すステップ2の目的地。ここからだと4.1キロ、箱根湯本まで9キロ。

ここから下りだし、なんちゃないさー。

となめてたんだけどね、翌日、激しくケツが筋肉痛になった。

 

江戸時代の東海道が鎌倉時代の東海道と交わるポイントに着きました。

鎌倉時代の東海道は尾根伝いのルートで、今歩いてる江戸時代に整備された東海道は須雲川沿いの谷間に整備されたルートだと説明されてるでありんす。

今回は逆方向に歩いてるから、芦ノ湖からここまでが鎌倉時代の人も歩いた道っつーことね。ほんでここからは江戸時代以降の道ってことか。

 

かつては数多くの往来があったここも、今ではこんな静かな散歩道。

 

新緑がほんと気持ち良いんだけど、交通のために作られた街道のため、登山道のように見晴らしが良いポイントってのはほとんどない。

 

ここが唯一?だったかな。

二子山が見てるポイントなんだけど、それでも樹林が邪魔で一部しか見えない。

 

なだらかに下っていく。

既に石畳にも飽きて轍を歩いてるという、なんのためにここを歩くと決めたのか、今となっては箱根マラソンの往路ゴールを見られたという感動の前にすっかり忘れ去られてしもた。。

情緒を感じられたのも最初たけ。足首ひねったし。

 

江戸時代初期は石畳ではなく、ぬかるみ防止に細い竹を毎年敷き詰めていたため、費用と労力がかかっていたとの事です。

1680年に石畳に改修され、1863年に徳川家茂の京都上洛の際に全面的改修されたそうです。

偉い人が歩くと変わるなんて、今も昔も政治って変わらないのねん。

 

この街道を子供も老人も、みんな重たい荷物を背負って何十キロも歩いたんだよなぁと、思いを馳せられるのはこういうハイキングの醍醐味。

当時はわらじとかリュックもないから、バランスの悪いカゴにたくさんの荷物を入れて背負ったんだろうな。着物は歩きにくかっただろうな。いや、前がはだけて歩きやすいのかな?いや、でも女性は大変だったろうな。みんな箱根越えは憂鬱だっただろうか。

とかとか、そんなことを考える。

現代に生きる自分と当時の人々が交錯して今の自分を考え直すことができるのは歴史に触れる楽しみです。

 

綺麗に苔が生えた、、これは何でしょう?

 

道路を渡る箇所が増えてきます。

 

珍しく日当たりが良いところを歩けば、途端に初夏の日差しにゲンナリ。

 

 

再び新緑のトンネルによる日除け地帯へ。

 

飛脚とか仕事で往来してた人も多かっただろうし、眺望より日差しを避ける方がそりゃ大事だったんだろうね。

参勤交代もここを通ったんだし。

 

甘酒茶屋で一休み

甘酒茶屋に着いたぜ!

黙々と歩いてたら見落としそうになった。

こののぼりに気付かなかったらアウトだった。

 

甘酒茶屋ではドライブスルーができる様に外にタープを張って注文を受け付けてました。

せっかくなので温かい甘酒を一杯下さいなと。

客は自分一人だったけど、お店の人は4~5人はいたかな。

 

かつて甘酒小屋は箱根に9箇所設けられてたそうで、ここ甘酒茶屋周辺には4軒ありました。明治13年に国道1号が開通してから街道を歩く人は減少し、現在ではこの1軒が残るのみになってるとのことです。

 

 

ダイエット中なのでお団子は我慢して甘酒をいただきます。

水曜どうでしょうの手ぬぐいをゲットしたから折角だから見せびらかすよー

 

この甘酒茶屋の隣には「旧街道休憩所」が無料開放されている。中には土間や囲炉裏が設けられてるのでぜひ立ち寄ってみよう

 

この先、しばらくトイレもないから甘酒茶屋の隣のトイレに立ち寄っておきましょう。

 

おっこんな所にも石碑が。

親鸞もここを歩いたんだね。

 

親鸞上人が東国(あづまのくに。近畿より東の国のこと)の教化を終えて四人の弟子と箱根を歩いていた時、弟子の2人に向かって「師弟打ちつれて上洛した後は、だれが東国の門徒を導くのかが心配。なので御房がこれから立ち戻って教化してもらいたい」と頼み、師弟の悲しい別れがされた場所、とのことです。

 

わざわざ箱根で追い返さんでもよかったい。。

 

次なる目的地、畑宿へ

そして再び箱根旧街道へ。次はステップ2の目的地、畑宿に参るぜよー!

 

甘酒茶屋からのゆるやかな坂を「追込坂」というみたいね。

湯本から歩く人はここで追い込まれちゃうのね、かわいちょ。

こちとら下りなんでね。超楽ちん。

 

地図があつたので畑宿までのコースタイムを確認。

甘酒茶屋から畑宿までは下りで60分。上りだと90分。追込坂で1.5倍の差が生じるってるわけね。

 

 

甘酒橋なる橋まであって、どんだけ甘酒が待ち遠しかったのか、これだけで分かる。

 

ここ須雲川沿いに畑宿から元箱根までの区間は「須雲川自然探勝歩道」と言うそうです。

 

ちなみにここにはこんな看板がありました。

「箱根の雲助」と言えば知らない人はいません(いや、知らね)。ところが雲助と呼ばれた人たちは、実は小田原の問屋場で働く人たちだったのです!

雲助と言えば悪者の様に考えますが、それは一部の人で、問屋場では人足を登録させ仕事を割り当ててたたので、悪さをした人などいなかったといいます

 

雲助っていう人たちがいたのね。勉強になりました。

 

旧街道は道路に沿っててたまに交差するから、こんな感じで途中には道路に上がれる階段があったりする。

疲れてきたし、ダイエット中だし、蕎麦の宣伝とかされちゃたまらんぜっ。

 

畑宿まであと少しって所からご覧の通り九十九折に道路を歩いていきます。

この道路歩きが長いのよ。。

 

こんな感じで道路をひたすら歩く。。ここら辺の車は結構飛ばすから、ほんと気を付けてね。

たまに営業車も走ってたりして、こんな観光地に仕事で来たくねぇなーと軽く同情したもんね。

 

やっと道路歩きが終わった。。

階段を下りていけば再び樹林帯の旧街道だよ。

 

西海子坂。ここから再び石畳。

そしてここにも立て看板があったので軽く端折りながら案内しときますね。

江戸幕府は1680年に箱根路を石畳道に改修しました。それ以前は、雨、雪のあとはひどい悪路となり、膝まで没する泥道を歩かねばならなかったため竹を敷いていたが、毎年竹の調達に大変な労力と費用がかかっていました

竹を敷くってアイデア、今となっては新鮮だよね。

 

振り返れば意外と急な上り坂。

引っ越しで家財道具を押しながらここを上った人もいただろうし、大変だったろうね。

 


畑宿一里塚の石碑がありました。

もちろんあたしゃ一里塚なんて初耳だし、どんなもんなのかも分からないからちょっと調べてたみた。

徳川幕府は街道や宿場を整備し、距離を明確にするため街道の一里ごとに一里塚を置きました。畑宿の一里塚は日本橋から23里目に当たる。その一里塚は一部が削られたりしていたため当時の姿はないが、発掘調査と文献調査の結果を基に復元整備し、唯一当時の様子を現代に伝えるものです

箱根と言えば箱根駅伝のことしかほぼ知識ゼロだから学ぶことばかりだよ。

 

あれれ、道路が見える。

石畳もう終わりなの?

 

石畳が終われば、そこはもう畑宿の集落。

ステップ2の目的地ね。

ステップ2って言い回しがコロナっぽいな。ステージ2って言えば良いのか。

 

湯本から箱根関所跡までの通称「東坂」を描いた分かりやすい地図があるから、ここはお立ち寄りポイントね!

 

東海道五十三次の全長495.5kmを描いたロードマップ!こいつも分かりやすい!

その内の箱根八里と言われる区間は、小田原から三島までの長い長い区間。

 

三島から先もうんざりする長さ。

53番目が大津宿(滋賀県)で、最後は京都の三条大橋で終わるという長い長い道のりが東海道五十三次。

箱根旧街道だけで満腹。げぷっ

会社で国道1号線〜2号線〜3号線を全て歩いた強者がいるけど、金がかかって仕方なかったって言ってたな(笑)

 

畑宿の中心地に到着。

先に書くけど、ここから箱根湯本まで歩いて、よ~く分かったのが、箱根湯本~畑宿間は道路を歩いてばかりでさっぱり面白くなかった。

なので、ここ本陣跡までバスでアクセスして、本陣跡から箱根関所跡まで歩けば箱根旧街道の良いとこ取りできっと満足できるはず!

 

ここ!ここポイントね!

本陣跡までバスで来たら良いよ。ここから箱根関根跡まで歩けばきっと楽しい旅で終わること間違いなしアルヨー。

そんなの邪道だ!って言う人もいるだろうけど、だいたい箱根湯本駅~箱根関所跡までだって、箱根八里の内のほんの一部を良いとこ取りしてるってこと忘れちゃいかんよ。

 

畑宿から須雲川の鎖雲寺へ

とは言え、あたしゃここまで来たら箱根湯本駅まで歩きますけどね。

再び旧街道に突入。

 

大澤坂です。

大澤坂は江戸時代の石畳が一番よく残っている坂で、苔むした石畳が往時をしのばせています

 

道から水が湧き出ててちょっとした川になってるところを進みます。

ちなみに今日はナイロンのトレランシューズなので濡れる訳にはいかんのよ。

ちなみに今日は暑くて、背中と脇は既にびちょ男でキモ男の出来上がりです。

 

須雲川自然探勝歩道です。

ここから奥湯元まで4.3キロもあるのね。。

 

ここまでもたくさん歩いてきたから、今更珍しくはないけど再び石畳のご登場。

 

 

日当たりが少しだけ良いからか、こっちの石畳はさほど苔むしてない。

甘酒茶屋あたりの石畳は雨の日に歩いたら殺人的だなってぐらい苔むしてたからね。

それが良さでもあるんだけど。

 

道路を渡って、東京電力畑宿発電所方面に下っていきます。ここで軽く迷ったけど、東京電力方面へ下っていくのが正しい。

 

須雲川の渡渉ポイントに差し掛かります。

増水時は渡れないので迂回してくださいと、注意を促す立て看板があるからちょっとドキドキ。

 

うーん、まさにだな。

これ以上ないまさに増水時は渡れなくなる丸太橋。

 

そして再び始まる道路歩き。

しばらく須雲川に沿って歩いてきたけど、いよいよここら辺が須雲川の集落です。

 

この集落を須雲川といい、昔は川端とも呼ばれていました。この辺りに集落ができたのは江戸の初め寛永の頃。箱根路を往来する人々のため、道の維持のため、一定の距離をおいて集落をつくる必要があったそうです。

ちなみにこの石碑のある臨済宗鎖雲寺(さうんじ)には仇討ちの物語にまつわる勝五郎と初花のお墓があります。

箱根湯本駅の近くにある「はつ花」というお蕎麦屋さんの由来はこの初花さんです。

 

箱根そば、通称「箱そば」の本店もきっと箱根にあるんだろうなと、気になって調べてみたらまさかの新宿だった。

 

対岸に物を運ぶための滑車もあって、なかなか味がある集落です。

岩手の郭公団子みたいに対岸に団子でも運んだら流行るかも。箱そば運べばいいのに。

 

長い長い道路歩きから箱根湯本駅へ

箱根の温泉街を眺めながらえっちらおっちら、アスファルトに苦しみながら歩いてるよ。。

途中何度か立ち寄り湯があったけど、ここら辺は相場が1,500円となかなかお高い。

 

ずーっと道路を歩いてるから足が痛い。

情けない体になってしまったな。腰も痛い。

翌日はお尻が筋肉痛になってコピーを取りに行くのも辛かった。

 

箱根旧街道、湯本一里塚の碑。

さっきあったのは畑宿一里塚ね。物好きだからそこから1里歩いてきたよ。

 

いよいよ箱根湯本駅まであとわずかってところで、吉池旅館前にあった日本水力発電発祥地跡なるものを発見!

1892年、須雲川発電所が誕生したそうです。

新しい発見がたくさんの旅になってそれなりに楽しめたかも。ケツと腰が痛いけど。。

 

 

早川にかかる橋を渡る。向こうに見える建物は蕎麦屋の「はつ花」。

湯本駅までもう少しってところで、箱根と言えば箱そば以外の名物ってなんだったっけ?と考えた。

あ、あった!ちもと!前から食べてみたいと思ってたふわふわ餅のちもと!

 

しかし無情にも営業時間終了の17時ちょうどに到着。

次回持ち越しだな、こりゃ。

朝、ヨドバシカメラで遊んでなかったら余裕で間に合ってたのにな。。くそっー。

 

駅に着くなりすぐ出発する17:05発のロマンスカーに滑り込んで、箱そばの本店がある新宿へ。

ちもとー!有名なちもと、まだ食べまた事ないんだよね。小田原駅だと売店でしか買えないから1個売りしてないんだよなぁ。

 

振り返って

今回のコロナ騒ぎがなければ決して歩くことのなかった箱根旧街道。

いつもの山歩きとは違う趣向のハイキングでしたが、風情があり、歴史情緒があり、未来に残したい文化があり、新鮮味があり、なかなかの特別感がありました。

新緑のトンネルの中を苔むした石畳を歩くこともてきて充足感も得られたしね。

 

途中でも触れましたが、本陣跡までバスで行き、そこから箱根関所跡まで歩くのがおすすめコースです。

それだと歩く長さ的にもちょうど飽きがこないと思うし、最後は関所跡を通過して箱根マラソンの往路ゴールで旅を終えるってなかなか良いシナリオだと思う。

登山というよりかは、箱根駅伝の聖地巡礼を楽しみたい人におすすめの小旅行ですね。

 

まあ、なんにせよ歩いてて眺望はありません。。

街道だもの。

たまにこういうハイキングもいいけど、そろそろ山の上からの大きな景色を楽しみたいものです。

それと、花。別に花好きでもないんだけど、やはりこの時期はツツジとシャクナゲだよな〜といつしか反応してしまうようになってしまったので。

甘酒茶屋の前に少しだけ咲いてたツツジを見てそう思いました。

ではでは

 


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